◆元政庵 瑞光寺

瑞光寺は開祖元政上人開祖のゆえに『元政庵 瑞光寺』といい、別称、上人が竹を好まれたところか ら『竹葉庵』とも称します。
明暦元年(1655)、幽趣を愛でた元政上人は、洛南深草の竹の里、旧極楽寺に草庵を結び、庵の名を章安大師の故事にちなんで、称心庵と名付けた。
これが瑞光寺の始まりである。
門前には、日蓮宗には珍しい『不許酒肉五辛入門』の碑があり、ここで元政上人は、学問と詩歌三昧、そして父母の孝養につとめ、清らかな僧堂生活を送られた。

 『夕ざれば野辺の秋風身にしみて鶉なくなり深草の里(藤原俊成)』

 

 

本堂(寂音堂)

寛文元年(1661年)39歳のとき、称心庵仏殿を見た元政上人は、庵を『深草山瑞光寺』と改めた。

丸みを帯びた総茅葺屋根は、我々に親しみやすい暖かさを感じさせる。また当寺の中心建造物で、堂内の中央に は体内に五臓六腑を添えた釈迦如来の座像があり、中正院日護上人の作である。

又、奥段には元政上人を始め御両親、歴代上人を祀る、根本の御堂である。

 

 

◆元政上人の御廟(三本竹の墓)

一本は、法華経広宣流布のため
一本は、衆生救済のため
一本は、両親のため

という意味が込められています。
  水戸光圀公は『鷲の山わけて得がたき道ぞとは、ふみみていまぞ思いしらるる』と墓標され、『嗚呼孝子元政之墓』を贈られた。

明月や竹三竿の墓の主 (虚子)

 

 

◆元政上人御忌法華懺法会と遺宝展

毎年3月18日元政上人忌に因んで古くから伝承されている法華懺法会の奉行と元政上人の遺宝展を当寺で公開しております。

 

 

◆身延山に於ける 元政上人埋髪の塚

いたづらに身をばやぶらで法のため
    わが黒髪を捨てしさうれしさ (元政)

母堂七十九才の母のかねての望みにより万治二年(1659年)の8月13日に深草を出で身延に父の遺骨を奉じて登詣され、わが黒髪を切って身延山奥の院の山頂にこれを埋めて、日蓮大聖人の孝養の一端に奉じた。

 

 

 

◆深草の観音さま

元禄4年9月1日井伊直孝公女掃雲院殿了心日意大姉追善のために建立寄進した。秘仏厄除け観音は如意輪観音大菩薩のことで、当山の祈祷の本尊である。爾来魔除け、病難退散、諸願満足、怨敵退散の守護仏として親しまれてきた。願い事達成の時は 夢枕にその御姿を見せられるので枕頭出現の夢想の観音ともいう。御祈願は三七日、二十一日間の願かけをなし、一日、十五日、十八日は毎月必ず御祈願参りをせねばその達成は得られない

 

 

 

◆三十番神社

法華守護の三十番神と大黒天の三十一体を祭祀し元政上人によって当山の安泰と寺門の繁栄を祈る。
  三十番神は天照大神、八幡大菩薩をはじめ伏見稲荷、松尾大明神、北野天満自在天祗園大神等の全国の総氏神を一堂に祀った一ヶ月三十一柱の国土神である。元は 旧極楽寺薬師堂に番神山として現存していたものである。

 

 

◆白龍銭洗弁財天さまの御利益

ここにお祀りしてある白龍銭洗弁財天さまは財運・金銭運・福・禄・寿の幸運を授けて下さる霊験あらたかな不思議な開運の神様です。

一心にお祈りをしてザルの中へ銭 『おかね』を入れ龍神様のご神体の中より流れ出るお水で洗い、浄財袋に入れて大事にお持ち下さい。
必ず財運・金銭運の幸運が授かります。

ご縁日の『たつの日』『みの日』に必ずお参りして浄財袋の『おかね』を新しい『おかね』と入れ替えて下さい。

 

 

 

◆縁切寺

酒、タバコ、病気、男女関係等当山の開山上人の御廟にて年齢の数を回り、まじわるところの悪い縁を切ってもらう 御利益があり、出来れば、3週間×7日=21日間、お参りしなければなりません。お寺の観音堂にて特別祈願も致します。